翌朝、モーディスは運営本部へ向かった。  ファイノンも行くと言った。止める理由はなかった。むしろ、隣を歩く姿を見ていたかった。  昨日、矢を受けたはずの右脇腹は、歩調を乱さない。石畳を踏む足取りは普段通りで、肩の高さもほとんど変わらない。何も知らない者が見れば、負傷したとは思わないだろう。  それでいい。そう思いながらも、モーディスの視線は何度か彼の横腹へ落ちた。  ファイノンは朝の市場へ目を向けている。乾燥豆の袋を積む音、薪を割る音が、市場の奥から聞こえていた。町はすでに働き始めている。  運営本部は、市場通りから一本外れた古い役所を使っている。割れた外壁は鉄板で補強され、正面の扉には何度も塗り直された運営の標が掲げられていた。入り口の前には、申請待ちの者が何人か並んでいる。外壁工事の人員表を持った男。配給券を握った老婆。地図を抱えた運び屋。列に並ぶ者たちの表情に、切迫したものはなかった。待つことに慣れた顔で、紙束を抱えたり、配給券を指先で弄んだりしている。  その列の横を抜けると、奥にいた女性職員が二人に気付いて目を上げた。

「一昨日通報していただいた人狩りの件ね」 「ああ」

通報を受けた職員ではなかった。けれど、共有は済んでいるらしい。彼女は手元の紙束をめくり、細い指先で該当する報告書を引き出した。上品な所作だった。机の上に置かれた茶器も、粗末な金属製ではなく、薄い白磁に近い焼き物だ。運営本部の空気の中で、そこだけ別の商談室のように整って見えた。  その横で、ファイノンがわずかに姿勢を正した。  緊張している。モーディスには分かった。普通の者なら気付かない程度だ。青い目は澄んでいて、表情にも乱れはないが、肩先に力が入っている。

「三名とも生存しているわ。回収時に抵抗できる状態ではなかった。職員側の負傷者もなし。あなたが残した拘束と印のおかげで、回収は早かったようね」 「そうか」 「もっとも、全員無事とは言いがたいわ。利き腕が元通りにはならない者が一人。膝に後遺症が残りそうな者が一人。残る一人も、しばらくは寝床と尋問室の往復になる。人を狩るには、不自由な体になったわね」

声は穏やかだった。同情はない。  モーディスもファイノンも、そこへ何かを添える気にはならなかった。

「所持品は、クロスボウ二挺、短刀三本、煙幕用と思われる筒が一本。毒物反応は今のところ出ていない。奪った通行札と小物も複数見つかったみたい」

紙をめくる音が乾いて響く。

「目的は」 「無差別よ。あの辺りを通る者を狙っていたようね。医療品狙いか、金品狙いか。彼らははっきり言わなかったけれど、通る者なら誰でもよかったんじゃないかしら」

横で、ファイノンが息を吐いた。

「運が悪かったのは、どっちだったんだろうね」

皮肉とも、哀れみともつかない声だった。  職員は紙面を見下ろしたまま、薄く笑った。

「一人は止めたそうよ。黄金の目と白星だ、やめておけ、と」 「判断が遅い」 「ええ。壁外では、判断の遅い者から死んでいく」

冷たい言葉だった。けれど、この町ではそれが現実だった。  生きた人間を襲って糧を得る者に、同情を割く余裕はない。感染者ではない。飢えただけの獣でもない。選んで人を狩った者たちだ。死なせずに済んだのは、運営がまだ聞き出すことを持っているからにすぎない。

「旧水路東側は、しばらく巡回を増やすわ。通行は制限。あなたたちも、同じ方面の依頼を受ける時は増員してちょうだい」 「分かった」 「一昨日の搬送依頼は完了扱い。報酬の変更はなし」

事務的な報告はそこで終わるはずだった。  けれど、職員は紙束を閉じたあと、ふと視線を上げた。

「それと、あなたからの私用の件」

モーディスは、わずかに目を細めた。  隣で、ファイノンの気配が動く。

「まだ見つかっていないわ。でも、候補はいくつか絞れた。もうしばらく待てるかしら?」 「急がない」 「そう言う依頼人ほど、目だけは急いているものよ」

彼女は面白がるように口元を緩めた。

「欲しいものがあるなら、相応の根気が要る。特に、誰かの手を渡り歩いたものならね」